NPB昭和40年世代と藤王康晴さん

83年の高校野球を沸かした中京の野中撤博投手と並ぶ当時の注目はイチローも憧れた享栄の藤王康晴選手。センバツ大会での連続出塁記録を達成。正に安打製造機でした。

両名ともドラフト1位での入団。期待する活躍を見ることがありませんでした。

藤王は引退後佐川急便⇒家業の撚糸業⇒佐川と転々としましたがドラゴンズの谷町である「矢場とん」社長に硬式チームを任されましたが消えました。

「40年世代」のトップランナーが埋没する中で遅咲きと言える古田敦也、山本昌が名球会に入ったことを考えると出会った指導者やチーム事情など巡り合わせの要因を感じます。

立命館大学時代の古田敦也選手

大学時代は指名されずトヨタ自動車に進みソウル五輪を経てヤクルト入団。その後に2000本安打で名球会入り。この偉業に驚いたのは他人だけでなく本人もだったと思います。

前橋工業の渡辺久信投手

81年に1年生で甲子園に鮮烈デビューもこれのみ。3年夏は県大会決勝で痛恨の押し出しサヨナラ負けでした。現在は西武ライオンズでGMとして手腕を発揮されています。

野中氏と阪急同期入団の星野伸之投手も下位指名ながら176勝を挙げました。入団当時の評価が必ずしも成績につながらないことが分かります。デーブ大久保のYouTubeで捕手が球が遅いために素手で取り二塁盗塁を刺したことを証言していました。

藤王の同期には山本昌氏がいました。当時僕は高校野球雑誌を読み漁っていたのですが彼を知りませんでした。3位のÝ校三浦投手は有名でしたが活躍することなく佐川からアルペンの野球用品スタッフになったようです。

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